グラビアアイドルのあな

グラビアアイドルのまとめのまとめ

”うる星やつら”や”こち亀”にも 愛され続けるアグネス・ラムの魅力

   


▼アグネス・ラムって、どんな人?

本名 アグネス・ナラニ・ラム
   Agnes Nalani Lum
生年月日 1956年5月21日
出身地  アメリカ合衆国・ハワイ州
身長 / 体重 158 cm / 46 kg
スリーサイズ 90 – 55 – 92 cm

アグネス・ラムは、1970年代後半に日本で活躍した
ハワイ州オアフ島出身の中国系アメリカ人モデル。

中国人の父親とハワイ人の母親をもつ。4人姉妹の末っ子。

姓のラムは、父親の姓「林」の広東語読みである。

▼元祖グラドル 社会現象を巻き起こした

小柄ながら豊満なバストと外人らしくない
「おっとり」とした性格が魅力的で、
日本の男の子にウケた。

-【どっちが勝ち組でショー!】
「アグネス・ラムVSリア・ディゾン
新旧黒船グラドル対決!」
livedoor' NEWSより

アイドルといえば歌手活動がメインというのが常識だった時代に、
グラビアを中心とした活動を行った。元祖グラビアアイドルと
呼ばれる存在である。

週刊誌・アイドル雑誌・少年雑誌など数々の雑誌のグラビアを
飾り、当時の若者の部屋には間違いなくアグネス・ラムの
ポスターが張られていたほどのブームを巻き起こした。

1975年後半から、1976年の前半は、週刊プレイボーイ、
平凡パンチ、GOROなどの芸能雑誌、アイドル雑誌の
グラビアはアグネス・ラムに独占された状態だった。

「週刊読売」など一般週刊誌のカバー表紙にも登場した。

出典昭和31年5月21日、アグネス・ラム誕生日 :: でれすけ。|yaplog!(ヤプログ!)byGMO

▼お人形のように愛くるしい顔と、抜群のプロポーション

日本人と同じ黒い髪と黒い瞳に、
やはり外国人の風情を持ち、
少女のような童顔なのに、
豊満な胸を持つ。
そんなミスマッチなところが、
より彼女を魅力的に
したのでしょう。

1974年5月のハワイ大会で当初ミスUSAハワイ代表に選ばれたが、
18歳未満によりタイトルを失う。

18歳の時に、ハワイでモデルとしてスカウトされ1975年
6月に初代クラリオンガールとなった。

同じ年にライオンのCMに出演し、健康的な小麦色の肌、小顔で
可愛い顔立ちとあいまって豊かなバスト、そして愛くるしい瞳が
共感を呼びアグネス・ラムフィーバーを起こす。

▼クラリオン・ガールとは?

のちにキャスターとなり、
現参議院議員の蓮舫や、
元プロ野球 新庄剛志選手夫人
(現在は離婚)で
タレント、モデルの大河内志保、
かとうれいこなど、多数を輩出。

クラリオンガールは、カーオーディオメーカー・クラリオンが
1975年(昭和50年)から約30年に渡って毎年選出していた
キャンペーンガールである。

初代のアグネス・ラムが選ばれて以降、烏丸せつこ、宮崎ますみ、
蓮舫、大河内志保、立河宜子、原千晶といった著名タレントを
生み出してきた。

1997年(平成9年)までは水着審査などグラビアアイドル的な
容姿が重視され、芸能界デビューの登竜門といわれていた。

▼彗星の如く登場し、あっという間に凄まじい人気者に

男性人気はわかりますが、
女性から見ても、本当に
かわいらしい、素敵な人。

何ていうか、かわいらしさが
漂ってくるような人ですね。

クラリオンのカーエアコンの宣伝ポスターに起用され、このとき
刷られた1000枚のポスターはまたたく間になくなったという。

『平凡パンチ』ではクラリオンとのタイアップで「アグネス・
ポスター2万枚プレゼント」という企画が組まれ、これまた好評を
博した。

駅構内に貼られたアグネスのポスターは、ファンによって直ぐに
剥がされ持ち去られたという、異常とも思われるフィーバーぶり
だった。

初来日の折のサイン会と
3度目の来日時の
エピソードです。

1975年11月に来日、渋谷・東急百貨店で開催された「写真展兼
サイン会」には会場に入りきれないファンが、隣のビル屋上までに
詰めかけている。

その人気はすさまじく、サイン会では人が折り重なって倒れると
いうハプニングが起こるほどの熱狂ぶりだった。

毎年ゴールデンウィーク中の祭りの中で最大級の動員数を記録する
「ひろしまフラワーフェスティバル」第1回(1977年5月)のゲスト
として招かれた。すると警備体制が追い付かない程の群衆が殺到し、
アグネスは消防車で会場を脱出した。

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